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2015年9月16日

暦のはなし 3

暦のはなし(3)

3.太陰暦の構成

 

朔(さく)とは 月が完全に消えた状態から現れる瞬間 のこと。つまり、新月である。この周期は約29.5日のため、0.5日のずれがある。つまり、朝に起きる事もあれば昼に起きる事もある。この朔の瞬間が含まれる日を「朔日(ついたち)」と定義する。(暦の上では昔も一日の始まりは午前0時であり、現代の感覚と違わない。)まず、この太陰暦を構成するところから始める。そのためには、まず日の刻まれた目盛を用意する。(下図)

 

 

——- 朔       A
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29
———–朔       B
30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48

 

上のように日を直線上に並べ、求められた朔の日付を上に書き込む。この朔が書かれている日付が朔日(ついたち)であり、これで月の区切りが決定する。月の長さもこれで決まる。単なる太陰歴であれば、作業は以上で済む。(A,Bについては後述する。)
太陰太陽暦でもここまでは同じであるが、これで決まるのは月の区切りであり、まだ何月かという名前は決まっていない。名前を決めるためには、二十四節気というものを導入する必要がある。これが、太陰太陽暦の特徴である。
ここで、簡単に二十四節気について述べておこう。

A.二十四節気

二十四節気とは何か、というと、簡単にいえば一太陽年の長さ365.2422日を正確に二十四等分した時の区切りである。(平気法という方法による場合。)一番分かりやすいのが冬至であったらしく、起点は冬至になっている。それぞれ、次の名前がついている。(アルファベットは便宜上付したものである。)

 

—————————-A  冬至十一月中
小寒十二月節  B  大寒十二月中
立春正月節   C  雨水正月中
啓蟄二月節   D  春分二月中
清明三月節   E  穀雨三月中
立夏四月節   F  小満四月中
芒種五月節   G  夏至五月中
小暑六月節   H  大暑六月中
立秋七月節   I  処暑七月中
白露八月節   J  秋分八月中
寒露九月節   K  霜降九月中
立冬十月節   L  小雪十月中
大雪十一月節     冬至十一月中

 

節の文字がついているものを節気、中の文字がついているものを中気 と呼ぶ。暦の計算に必要なのは中気の方である。
それぞれの中気の間は、365.2422/12=30.43685日 空いている。
分かりやすいように、AからLまでの記号を付した。これを先の数字列の中に書き入れる。これによって、月の名前が決定する。A  冬至十一月中 を中に含む月が十一月、B  大寒十二月中 を中に含む月が十二月 である。重要な事は、月の名前が先にあるのではなく、二十四節気をあてはめる事によって、月の名前が決定すると言う順序である。

そうすると、少し困った事が起きる事がある。例えば先の数字列が次のようになったとしよう。
———-G 朔
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29
————– 朔,H
30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48

 

つまり、朔から朔までどの中気も存在しない事がありうる。上の例では、最初の朔の前が五月であり、次の朔の後が六月ということになる。
この間は、五月と六月の間であるが名前を付ける事ができない。このような場合に配置されるのが閏月である。もともと閏の文字は準と同意であったらしい。
概略、先の通り中気間の日数は30.44日であり、朔望月間は29.5日であるから一周期ごとに0.9日ずれる計算になる。
30/0.9=33.33 であるから、大体33カ月程度でズレが一カ月になる。
つまり、閏月とは中に中気を含まない月 と定義できる。(平気法の場合である。)

 

4.定気法

 

一般的な太陰暦の作り方は上に述べたとおりである。二十四節気は一年を等分して造るので、この手法を恒気法(平気法)と呼ぶ。しかし、現在旧暦と呼ばれている暦は、天保歴をベースとしており、前述の通り定気法という手法が用いられている。
この手法は、地球の公転軌道が楕円であり、見掛け上の公転速度は季節によって変化する事を採りいれたものであり、理論的には正しい。実際に計算する際にはケプラーの第二法則(面積速度一定の法則)が用いられたようであるが、太陽の黄道上の位置(視位置)を15度ずつに区切り、その各区切りに二十四節気をあてはめる事になる。
当然それぞれの二十四節気の間は等分とはならない。下手をすると、朔から朔までの間に中気が二つ入るケースも出てくる。勿論、この次の月が閏月になる事も多い。暦としてはまことに厄介なものである。この問題を回避するため、天保歴では次の規則が付け加えられた。
1)暦月で、冬至、春分、夏至、秋分はそれぞれ十一月、二月、五月、八月 とする。
2)中気を含まない月がすべて閏月とはならない。
(実はこれでも完全に解決されてはいない。→2033年問題と呼ばれる問題が知られている。)
天保歴の採用までは、時の数え方も一定であった。一日24時間を12等分して、子、丑、寅...と12支の名前で呼ぶのはおなじみであろう。
これとは別に、九つ刻、八つ刻などの言い方も用いられたが、これは午前0時、午後0時をそれぞれ九つ、午前二時、午後二時を八つなどと呼んだものである。天保歴はこの時制も変更した。日の出から日の入りまでを6等分したのである。これにより一刻の長さも一定ではなくなってしまった。

 

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